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浅野 昭利さん

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打てば響く太鼓

音楽のスタイル
太鼓とは打てば響くもの
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浅野さん 顔スナップ
【プロフィール】
財団法人浅野太鼓文化研究所 理事長
(株)浅野太鼓楽器店 代表取締役専務
浅野 昭利さん
創業400年の太鼓店における太鼓職人であると共に、女性の世界的な太鼓演奏チーム「炎太鼓」の育ての親でもある。多岐にわたるイベントや出版を行う太鼓文化のプロデューサーであり、“音”のパイオニア
http://www.asano.jp/


太鼓を通して人に元気を与えられたら良い

-浅野さんにとって太鼓とは?
「太鼓とは打てば響くものですね。太鼓はバチを持って皮面をトーンと打つことによって音が鳴りますよね。そういう風に何事でもすぐに反応するとか、人が何か言った時にこう思うとか」

「何か反応の良いそういう人でありたいと思っています。世の中には2通りの人がおります。感じ取れる人と感じない人。私は感じ取れる人でありたい。そういうことを常々思っております」

「太鼓というのは元々合図であったりとか、そういう伝達手段から発生したもの。ドンドンという単音の楽器だから奥深さとかそういうものを表現するのは難しいかもしれない」

「何か癒されるというよりは気持ちを鼓舞するような、人を元気にするような楽器が太鼓じゃないでしょうか。かつては戦で使われた陣太鼓もそうです。芸大や音大を出た和太鼓奏者というのはあまり多くない。テクニックとかよりも振りや見せ方で観衆を納得させる」

「だから太鼓を通して人に元気を与えられたら良いなと思っておるんや。実際に私たちのイベントを通して年配の方でも『元気が出た』と言ってくれる」
太鼓拡大写真
太鼓の音は魂を揺さぶる不思議な力を持つ


何とか太鼓を有名にしたい

「昔はそんなに太鼓を月に何個もつくるような時代じゃなかった。30代位まで田んぼもしとった。太鼓つくりながら田んぼもつくっておたのです。秋になると忙しくてね」

「小さい頃は貧乏をして、何とかこの浅野太鼓を有名にしたいと思った。それだけや。テレビに太鼓のチームが出てきた時に『頑張って、ああいうチームの太鼓を作りたい』と、その時心に決めた」


今の和太鼓文化の源流に立ち会った

「1つの転機は鬼太鼓座(おんでこざ)の田(でん)さんという人が、『五大大陸をまわりたいから太鼓をつくってくれ』とウチに立ち寄ってね。その時ウチの父親もお金のことを構わず快諾した。そこから鬼太鼓、鼓童といった太鼓チーム、奏者との関係が始まったのが大きな転機やったんです」

「それらが今の和太鼓文化の源流となって、私はそれに立ち会うことになったわけです。そういう新しい太鼓文化が始まるスタートラインにいられたことも大きい。そういったことが全部把握できたから」

「鬼太鼓や鼓童と付き合いが始まって、彼らが世界へ出て行ったときに何か自分でもできることがないかと考えてね。それが自分で太鼓チームを作ってみようということやった。そう思っておったときに、地下(地下朱美さん)とか池田(池田美由紀さん)が尋ねてきた。それが炎太鼓や」
イメージ
浅野太鼓楽器店は創業400年、日本最大の太鼓楽器店である



「炎太鼓」写真
海外公演でも活躍する女性3人の太鼓プロチーム「炎太鼓(ほのおたいこ)」(写真提供:浅野太鼓文化研究所)


我々にしか出来ないものをやってやろう

「私は一介の職人で、音楽についても素人やったけれども、太鼓の音だけはわかる。だから演奏形態にしても、何にしても、我々にしか出来ないものをやってやろうと思った」

「男の演奏の武器としてふんどし姿があるならば、女ならなんやと考えて視覚的な効果を出したいと思ったんです。それで日比野こづえさんに衣装をお願いした」

「その時に1つだけ私からお願いしたのは『透ける衣装にして欲しい』ということやった。あの当時はそれに対する批判もあったけれど、彼女たちがカチッとした肉体に鍛えてくれて、見る者を納得させたんですね」

「炎太鼓の魅力は、攻撃的な魅力、疾走する魅力、美しい魅力、そして技術の魅力なんです。きりっとした“いい女”の魅力を出したかった。だからこそ、世界ツアーも出来たし、サントリーホールも一杯に出来たんや」
松任国際太鼓エクスタジア 写真
国際的な太鼓音楽のフェスティバル『松任国際太鼓エクスタジア』(写真提供:浅野太鼓文化研究所)


自分達が考えて、お客さんを呼び込めないと駄目や

-浅野さんは太鼓文化のプロデューサーとして数々の実績をつくってきました。どのようにしてその様な道を歩み始めたのでしょうか?
「私はプロデュースしようなんて大それた考えは無いんです。ただこの文化を残すにはどうしたら良いか?という発想でやっているんです。そうすると、本(太鼓専門誌:「たいころじい」)をつくろう、資料館(太鼓の里資料館)をつくろうという風になったんや。今東京で太鼓のコンテストをしとるんです」

「松任(石川県松任市)で太鼓のイベントをやろうと考えたときに"軸"となる主役が必要やと思った。あちこちから"切り花"を持ってきてやっても何も残らない。だからその軸として炎太鼓をつくったんです」

「東京で主役でイベントを務められる石川の文化のプレイヤーがどれだけいるであろうか?プレイヤーというのは保護しているだけでは駄目で、雇われ仕事では客を呼べない」

「本当にやろうと思ったら自分達が考えて、お客さんを呼び込めないと駄目や。そうすると自然にプレイヤーが変ってくるんや。演奏に命を吹き込めるようになる」
浅野さん写真


人に恵まれたということ

「やろうと言ったときに実際にやってくれる人に恵まれたということじゃないかね。ほんとにありがたいことや。人間一人では何もできん。私は『やろう』と言うだけで(笑)」

「炎太鼓も演奏だけでは無く、様々なスペシャリストのバックアップがあったからこそ、ここまで来れたのかもしれない。山本寛斎さんしかり、写真家の稲越功一さん、グラフィックの田中一光さん、詩人の大岡信さん等々、応援したくれたのはそうそうたるメンバーやった」
太鼓制作の様子
「働く人が誇りに思えるような」立派な会社にしたいという浅野さん。言葉の端々からスタッフへの思いが感じられる


希望は持たないといけない

「太鼓をつくるということは残していきたいし、当然浅野太鼓を残していきたい。だから植林だけはやっていきたいんや。去年から『300年の夢の木』というテーマで始めた」

「300年後に大きな木が育ったら楽しいし、夢があるし。希望はもたないといけないと思ったんです。だから植林はどうしてもやりたい。今年で3000本、10年間で3万本植えたい」
木材
太鼓は木の文化でもある



大事にしてることと言えば仕事だけで

「小学校の頃から映画は好きやった。良く見に行ったもんや。だから何かを見るということは好きなんやね」

「それ以外は何も趣味も無い人なんや。大事にしてることといえば仕事だけで。会社を次の世代に渡すということ。親父から預かったこの会社を」

浅野さん写真(2)

浅野さんの石川つながり―石川県松任市生まれ―(株)浅野太鼓楽器店取締役専務


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