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松田 弘さん

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金沢らしい「美」

ファッションのスタイル
かあちゃんに惚れろ、仕事に惚れろちゅうてね(笑)
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松田さん顔スナップ
【プロフィール】
傘職人 松田 弘さん
生涯を和傘作りにかける粋な金沢人、松田さん。金沢らしい「美」を作り続ける和傘のパイオニア


『美しいな』とか『雨の日にさしてみたいな』という気持ちになってもらえんかなあと思って

-松田さんにとって傘とは?
「傘というのは人を美しく見せるための小道具やと思っとるんや。だからどうしたら女性が美しく見えるかということを考えて傘をつくっとるんや。顔が明るく見えるとかね。だから傘自体が華やかと言うよりも傘をさす人が華やかに見えるのが一番いいのじゃないかねえ」

「雨の日ちゅうたら、前の人の番傘を見ながら歩いたもんや。それが今では前の車の後ろを見ながら走っておる。昔は傘は雨除けのための実用品やったわけやけど、今じゃ車が雨よけの道具やろ。今ではなかなか実用品として使われることはなくなったわいね」

「実用品で無くなった時代にこういうもんつくっとるっちゅう事はなんか考えないといかん訳やな。だから実用的価値もさることながら、使う人が美しく見える道具になってくれりゃあイイと」

「芝居に使ったり、踊りに使ったりするという需要があるように人を引き立たせる役割があるんじゃないかねえ」

「実用品で無くなったからこそ、こうやって色々なデザインを試しておるんや。どうしたら女性の気を引けるかと思って(笑)『美しいな』とか『雨の日にさしてみたいな』という気持ちになってもらえんかなあと思って作っておるんや」
イメージ:和傘
松田さんの作る傘を広げたとき、思わず顔がほころぶ。そんな空間がある。

イメージ:松田さん


どんな美人に持ってもらえるかと思って(笑)

「石川県内を見てみても、昔はどこの料亭や神社でも需要があったもんやけど今ではそういった伝統が壊れてしまっとるでしょう。だけど、全国的に傘屋が無いものやから、県外のそういったところから注文が来るんや。他で残っている傘屋さんでも特殊なモノは扱っておらんもんで、『家紋入れてくれ』とか『店の名前書いて欲しい』とかはウチに依頼がまわってくるんや」
※芸人の「染の助・染太郎」さんの傘を作っているのも松田さんだそうです

-どんな時が楽しいですか?
「わしの作る傘はなぜか美人が使ってくれるんや(笑)物産展などに傘を出しても大概、格好のいい人が来てくれる。だからわしがこさえた傘がどんな美人に持ってもらえるかと思って(笑)そんなこと考えながらつくっとれば楽しいやろう(笑)」

-ご自分の人生において大切にしてきたことは何ですか?
「そりゃあ、親父の申し送りやわな。『かあちゃんに惚れろ、仕事に惚れろ』ちゅうてね(笑)そういうもんやと思って生きてきたさかい」
イメージ:お客様と話をする松田さん
お客様と傘について話をしている時の松田さんは本当に楽しそうだ。皆さん、時間を忘れて傘の話に花が咲く

イメージ:店内に飾られている傘
傘の大きさも様々だ。男物、女物。中には外国の人に注文を受けて作った小ぶりの傘もある。これは洋服にも似合うようにと作られたモノだ

外国の人に『やめてはいけない』と言われて

-日本伝統工芸の職人として海外にも何回か行かれたそうですが、どんな印象を持ちましたか?
「外国に行って思ったのは、日本人は我が身の仕事をあんまり大事に思っておらんな。外国の人は我が身の仕事を天職やと思っておるな、ありゃあ。わしゃそう思った。向うの人がわしの仕事を見に来たり、話したりする時にそう感じた」

「それともう1つ。ちょうどその頃(昭和30年代)、傘屋をやめようと思っておった時で。外国の人に『もうやめようと思っている』と言ったら、『例え儲からなくてもやめてはいけない。大事な日本の文化です』と言われたことがあってな。そう言われた事もあって、いまでも続けられている」

「日本人は『骨が折れたから買い変えよう』と言うけれども。向うの人は『おばあさんが使っていたもんやから直したい』という風に言うんや。日本人というのはゴミさえだしゃあ金持ちやと思っておるのか知らんけれども、ちょっと考え違いしとるのではないかと思ってしまうわな」

「昔の資料を見ておると、古くなった傘を買い取って直す『古骨買い』という職業があったんや。引き取った傘を貼り替えて、安く提供するわけや。今みたいに捨てるという考えが無い訳。だから昔の人は永く使える良いものをこさえる知恵を持っておったんや」
イメージ:傘を広げる松田さん
松田さんのもとには全国から修理の依頼も来る。和傘は本来修理を行うことを前提としているものだが、もはや修理をしてくれる所が無いのだ


『傘』ちゅう字はね、『人』が集まって出来とるでしょう

-松田さんはお父さんが傘職人としての親方でもあったわけですね?
「わしの親父のときは20人から弟子がおって、でかいことやっておった。傘が売れんようになった時代になって難しくなったんや。わしは小さい頃からそういうのを見て育っとるから、こういう手仕事みたいなもんは会社みたいにでかくしても駄目やと思っておった」

「昭和30年頃になったら、元々親父の弟子やった、金沢の傘屋が食えん様になって、みんなやめてしもた。そん時に皆が口々に『おまえの親父に習ったことが役に立たんかった』と言うわけや。そん時にわしゃあ絶対に弟子を取らんと思ったわ」

「『傘』ちゅう字はね、『人』が集まって出来とるでしょう。そんだけ職人が集まってできるモノなんやね。そんな簡単にできるモノではなかったわけや」

「昔は傘の制作工程の1つ1つが専門職やったわけ。傘貼り専門、骨削り専門とかね。ところがあるときストライキみたいなもんが起こって、材料が入ってこない事態になったんや。それはいかんと言うことで親父は一貫生産を始めたわけ」

「それで、わしは小学校出てすぐに、骨削りの職人についたり、提灯作りの職人についたりしてやらされとったさかい、勉強したこと無いわけや。試験も受けたことないし。小学校に行っている頃から手伝いをさせられとった」

「でもそのお陰で、傘や提灯に関しては何でもできるわけや。竹を削ってくれる人が居ないようになったら、手削りっちゅうて、手でなんぼでも削れるわけ。機械がなくても。だからわしはそういう風に骨をこさえてくれる人が居なくなったら、手で削ろうと考えながら傘作りをしとったわけ」

「戦後は本当に良く傘が売れたんや。昭和30年代になるとコトンと売れないようになった。戦が負けた頃はお宮さんも仏さんも無くて、お祭りも無かったわけや。お粥をすするのに傘を差して行列をつくっていたような時代やから。傘は売れた。けど提灯は無かった。今度傘が売れんようになってくると提灯が売れ出したわけや」

「なんでやというと祭りが流行りだした、お宮さんも復活してきた、居酒屋が建ち並びだしたからや。そんなんで、傘は売れんようになったけどもわしらは提灯を作っていれば丁度よかったんや。人間ちゅうのは上手い事になっているなあと思ってね(笑)ミミズが食べる土が無くなったら困るっていう話と同じでね」
イメージ:和傘を作る松田さん
和傘を作る全工程を一人で行える職人は全国でも松田さん一人

イメージ:和傘を作る松田さん_02
話をしながらも、あっという間に貼りあげていく

イメージ:老舗料亭「つば甚」
伝統的な番傘を今も使いつづける老舗料亭「つば甚」
松田さんは地元金沢でも今以上に和傘が使われることを願う
取材協力:「つば甚」

イメージ:和傘
「和傘作りはいずれ無くなる」と言いながらも作られる傘は何か新しささえ感じられる魅力的なモノに感じるのは私だけであろうか
※取材協力:「クラフト広坂」


こんないい仕事は他に無いやろう

-松田さんの趣味は?
「若い頃はダンス教室行ったり、三味線習ったりしておったけど、今でも続けておることといえば“謡(うたい)”をやっておるぐらいや。結婚式で『高砂や〜』っていうヤツがあるやろう。あれが謡や。歳をとっても関係なくできるから。後は酒を飲むことぐらいかな。赤玉とかわしが提灯をこさえとる店、居酒屋に行ったりするんや。金はもらっとる訳やし(笑)」

-傘を作っていて一番嬉しいことは何ですか?
「傘を作って差し上げたお客さんから『ありがとう』と言ってお礼の電話を頂いたり、お礼状を頂いたりして、非常にありがたいことや。最近そんな仕事ないやろう。モノを買って頂いて、その上お礼を頂けるなんて、そんな仕事は他にもなかなか無いと思うよ。反対やわな」

※編集部注:謡とは能楽のバックで行われる歌のこと。文化が奨励された加賀藩時代、人々は競って謡いを学び、その盛んな様を表すのに当地では「空から謡いが降ってくる」と例えられたそうです。

※編集部注:赤玉とは金沢市の繁華街にあるおでんや。このお店は昭和6年創立で、戦前はカフェ、戦後になっておでんの専門店になった。赤提灯が目印で、それを作っているのが松田さんだ。
イメージ:松田さん

松田さんの石川つながり―石川県金沢市千日町出まれ―生涯傘職人


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